![]() |
||||
|
◆所在地/会津若松市東山温泉 |
●街なみ・建築物等の由来● |
東山温泉は「天寧寺の湯」と呼ばれ、向瀧は「きつね湯」と呼ばれた。会津藩が修理を加え、料金を取らずして多くの人々が浴した。現在でも東山温泉旅館の中でただ1つ宮内省指定を受けている老舗の歴史のある宿である。 明治6年に民営に移され、以来平田家が代々受け継ぎ今日に至っている。明治期の部分は、廊下の部分が残っているが、現在の母胎となっている本館と離れの棟を大正初期に、若松市の棟梁本間辰五郎が手掛けており、この建物が向瀧の象徴である。その後昭和10年以後、東京からも棟梁を呼び寄せ、現在の建物全体を一気に増築した。 会津の温泉文化、食文化そして建築文化を頑なに伝承している旅館である。 |
●街なみ・建築物等の特徴● |
大正期、本間辰五郎が手掛けた主屋が現在の本館であり、瓦葺入母屋造、玄関の入母屋との調和がとれている。優雅な破風の線と懸魚の彫刻のバランスが良く、造形的に重厚である本館が向瀧の象徴そのものと思われる。 この時期建てられた1部の離れは官内省の指定を受けたからであり、書院造の造作は高く評価されている。 昭和初期に増築した大普請は、東京の棟梁による伝統江戸工匠技術が導入され、傾斜地を生かした建物配置と庭園のレイアウトも素晴らしい。 外観は本館に合わせ入母屋瓦屋根の連続であり、地形に合わせ階段廊下で結ぶ手法である。 造作は、純書院造と数寄屋造で構成されている。地元会津の職人も数多く加わり、床脇桐板の竹の彫刻、建具組子の手法等は地元職人による傑作と言えよう。このようにこの建物は会津伝統建築文化と関東伝統建築文化との融合が築きあげた老舗旅館である。 平成8年10月に、福島県第1号物件として、文化庁の登録有形文化財となった事は、会津の建築文化遺産として高く評価されたためである。 |
|