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◆所在地/中央一丁目2-7 |
●街なみ・建築物等の由来● |
会津五街道の起点より東へ300m程度か、主要街道の一つの街道沿いに位置する。酒どころ会津では欠かせない酒桶の『たが』の材料である竹の販売を主にしていたとの事である。当時は近郊の農家に竹の運搬用の目的で牛3頭をあずけ、東の街道(滝沢峠)を越えて店まで運んでいたらしい。 周囲には当時を思い浮かばせるような類似商家建築は残念ながら現存していないだけに、当時の通りの様子が伺い知れない。藩政時代の郭内の道路は明治初期に狭くなったが、郭外は蒲生氏郷公以来の道幅である。昭和の戦後でさえ、荷車を持っている家は特別の職業以外になく、リヤカーも同じで現在1人1台の車など考えられなかったのであるから、この約8m幅の道幅で充分であり、荷車、馬車、牛車が止まっていても交通渋滞にはならなかったのである。 |
●街なみ・建築物等の特徴● |
創業は、寛永元年(1624)現在の店舗は会津最古の商家建築で、既に160年余りの星霜を経ている。間口に対し敷地は奥に長い形で、現在の建物は間口いっぱいに、表を構えている。 屋根の仕上材がカラートタンに替えられたことが建設当時と大きく変わった点である。それ以外は現在の建物の新築当時の様子が伺える。雪障子戸、しとみ戸、帳場、野郎畳、土間、牛馬を繋いだ下屋の柱低い階高を余儀なくされた当時の世相が伺える。 |
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